Mind Harmony
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発達の特性

インテグレーション教育とインクルーシブ教育(平等だけど公正じゃない)

教育の現場で盛んに言われている「インクルーシブ教育」ですが、実際に現場にいると様々な場面でインクルーシブ教育について考えさせられることが多くあります。「インクルーシブ教育」とは、障害の有無にかかわらず全ての子どもたちが共に学ぶ仕組みであり、そこには一人一人の教育的ニーズに応じた「合理的配慮」が提供されることなのですが、実際の現場ではこの部分の共通理解が非常に難しいなと感じることが多いです。

インクルーシブ教育を考える上でおさえておかなければならないのが、1979年(昭和54年)の「擁護学校義務化」ではないでしょうか。これ以前は大半の重度・重複障害児は就学ができず、自宅や施設で過ごさざるをえなかったのが、養護学校義務化に伴い、障害をもった子どもたちが教育の場を得られるようになったことは大きな一歩だったのだと思います。しかし、その一方で「障害児は養護学校で教育を受ける」といったような分離意識が芽生えるきっかけとなってしまいました。このようなことから、障害児と健常児を区別した上で同じ場所で教育するインテグレーション教育(統合教育)へと移行していくのですが、1994年(平成6年)の6月に採択された「サマランか宣言」を機に、インクルージョンの原則に基づく教育システムの構築が世界的な潮流となり現在に至っている経緯があります。
※2001年5月にICIDH(国際障害分類)が、ICF(生活機能・障害・健康の国際分類)へと改定されたこともインクルーシブ教育への流れに大きく影響したのではないでしょうか。

日本の特別支援教育に関しては、2007年(平成19年)に障害者権利条約に署名を行ない、これまでの「特殊教育」から「特別支援教育」へと変わり、インクルーシブ教育システムの理念や合理的配慮の提供などが盛り込まれた本格的な特別支援教育が始まりました。※批准書に寄託されたのは、署名が行われたこの年から7年後の2014年(平成26年)のことです。

このように、インクルーシブ教育の歴史はまだ浅く、制度や人々の意識にかなりのばらつきが見られるのは致し方ないことなのかも知れません。現に「インクルーシブ教育」という言葉だけが一人歩きをし、実際にはインテグレーション教育の価値観がそのまま引き継がれていたり、分離教育に逆行するようなことが行われていたりする現場もまだまだ多いような印象があります。本当の意味でのインクルーシブ教育が浸透していきづらい理由の一つに、「平等と公正」の理解があげられると思います。

下の野球観戦をしている2枚のイラストは「平等と公正」を説明するときによく使われるものです。左のイラストはどんな人であっても与えられる台は一つずつで他の人との違いがない「平等」を表し、対する右のイラストは、その人の必要に応じた数の台が与えられてる「公正」を表しています。”野球観戦を楽しむという権利を享受するにあたり考慮すべきものは平等ではなく公正、すなわち「合理的配慮」である”ということなのですが、実際この両者の認識は曖昧で平等も公正も同じようなニュアンスで理解されていることが多く、両者の違いを正しく理解することが必要です。

とはいえ、実際の現場では平等や公平、インテグレーションやインクルージョンの線引きが非常に難しい状況に直面することがあるのも事実です。正しく理解することはもちろん必要なのですが、特に支援の場においては「こうあるべきだ」ということよりも支援のプロセスを重視していくことが大切なのだと思います。

平等と公正
インテグレーション教育

予め障害者のある子どもと障害のない子どもを区別した上で、同じ場所で教育する(障害のある子どもが障害のない子どもへ統合されていく)
障害のある子どもへの支援

インクルーシブ教育

障害の有無にかかわらず共に学ぶことを通して、共生社会の実現に貢献しようとする考えに基ずく教育
一人一人の教育的ニーズに応じた合理的配慮が提供される
全ての人を対象とした支援